
1. はじめに
ステンレス鋼は不動態皮膜によって優れた耐食性を示し、化学装置、食品機械、建築、船舶、医療分野など広範囲に利用されている。しかし、ステンレス鋼の構造物は多くの場合、溶接によって接合されるため、溶接部に特有の腐食トラブルが発生することがある。
とくに、「溶接金属腐食(Weld Metal Corrosion)」とは、母材と溶加材の組成差、冷却速度、組織変化などにより、溶接部の金属(ビード)自体に腐食が生じる現象であり、構造的に重要な問題となる。本稿では、溶接金属腐食の原因、発生メカニズム、主な腐食形態、対策について詳しく述べる。
2. 溶接金属腐食の概要と発生要因
2-1. 溶接部の構成
ステンレス鋼の溶接部は、以下の3つの領域に分けられる:
- 母材(Base Metal):未加工の原材料部分。
- 溶接金属(Weld Metal):溶加材(ワイヤ・棒)によって形成される溶接ビード。
- 熱影響部(HAZ):母材が溶接熱の影響で組織変化した部分。
このうち、溶接金属腐食は、溶加材由来のビード部分で局所的に腐食が発生する現象である。
2-2. 主な要因
- 合金組成の不均一性
母材と異なる組成の溶加材を使用すると、化学成分に偏りが生じ、耐食性が低下することがある。 - 凝固組織の粗大化
溶接金属は凝固により柱状結晶や偏析組織を形成しやすく、これが局部電池の原因となる。 - 酸化スケールやスラグの付着
酸化皮膜やスラグが残ることで、腐食の起点となる。 - 過剰な入熱や不適切なシールド
溶接中のアーク熱やシールドガスの不足により、酸化が進み耐食性が低下する。
3. 主な腐食形態
(1) 点食(ピッティング腐食)
溶接金属部に形成された不均一な不動態皮膜が局所的に破壊され、塩化物イオン(Cl⁻)の影響で深く進行する腐食。見た目は小さいが、内部に向かって深く浸食し、最終的に穴あきや漏れを引き起こす。
(2) 隙間腐食(クリービス腐食)
溶接金属のビードと母材、あるいは多層溶接時の間に生じた微小隙間に酸素が届かず、局部アノードが形成され腐食が進行する。特に溶接部が複雑な形状の場合に発生しやすい。
(3) 応力腐食割れ(SCC)
溶接により発生する残留応力と、塩化物イオンが共存する環境で発生。亀裂が進行して、最終的に構造物の破断に至ることがある。高温・高圧環境で特に注意が必要。
(4) 異種金属腐食(ガルバニック腐食)
母材と溶接金属の間で電位差がある場合、局部電池が形成され、腐食が一方に集中する。たとえば母材が高合金で、溶加材が低合金の場合に発生しやすい。
4. 腐食の発生メカニズム
ステンレス鋼の溶接時、以下のような物理・化学的変化が溶接金属腐食を誘発する:
- 溶接時に発生する高温下の酸化反応により、クロムの酸化・蒸発が起きやすい。
- 溶加材の冷却速度が速く、組織内にクロム炭化物の析出やクロム欠乏部が形成される。
- 凝固時に偏析が生じることで、特定の金属元素が濃縮または欠乏し、耐食性が低下する。
- アーク溶接時にシールドガスが不完全であった場合、大気中の酸素や窒素が金属内部に混入し、脆弱な酸化物や窒化物が生成される。
5. 溶接金属腐食の防止対策
(1) 適切な溶加材の選定
母材と同等以上の耐食性を持つ溶加材を選定することが重要。たとえば、母材がSUS316であれば、ER316Lやモリブデン添加タイプの溶加材を用いる。
(2) 溶接条件の最適化
- 過剰な入熱を避ける(適切な電流・電圧の設定)
- シールドガス(アルゴン等)の流量・供給範囲の管理
- インターパス温度の管理により、冷却速度や組織変化を制御
(3) 溶接後の後処理
- 酸洗い・パッシベーション:溶接部の酸化スケール除去と不動態皮膜の再生
- 電解研磨:表面を平滑に仕上げ、腐食起点を減少させる
- 研磨仕上げ:表面粗さの低減によって、汚れや腐食因子の付着を防止
(4) 清掃・保守
- 食品工場・海洋構造物などでは、使用後の水洗いや定期的な清掃が重要
- 腐食性環境(塩化物・硫化物等)での使用を極力避けるか、使用後すぐに洗浄する
6. まとめ
ステンレス鋼の溶接金属部は、母材に比べて化学成分の偏りや組織変化が起こりやすく、腐食に対して脆弱となる場合がある。とくに、溶加材の選定ミス、不適切な溶接条件、酸化スケールの放置などが腐食を誘発する。
そのため、溶接金属腐食を防止するには、母材との適合性を考慮した溶加材の選定、アーク熱管理、シールドガスの徹底、後処理の適切な実施が不可欠である。また、実使用環境においても、定期的なメンテナンスや点検を行うことで、腐食の早期発見・対処が可能となる。
溶接部の健全性は構造物全体の信頼性に直結するため、腐食のリスクを正しく理解し、技術的・管理的対策を講じることが求められる。